「おっぱいの大きなゾウさん」逝く-多摩動物公園、国内最高齢
推定46歳だった。
同日午前8時半頃、マコが飼育舎の中で倒れて死んでいるのを飼育員が発見。
同園がビデオで確認したところ、同日午前2時半ごろに座り込むような体勢になっており、死因は肺が圧迫されたことによる呼吸不全とみられるという。
約3週間前から足元がおぼつかなくなり、足をかばうようなしぐさを見せていたが、28日夕方はエサを普段通り食べていたという。
同園によると、アフリカゾウの寿命は50~70歳。
「まだまだ元気でいてくれると思っていただけに、急に死んでしまい残念」としている。
マコは推定2歳だった1967年、タンザニアから来園。
大きな乳房が特徴で、かつては来園した子どもを背中に乗せて園内を回ることもあり、親しまれていた。
ケニアから同時に来園した「アコ」(メス)と並び、国内最高齢だった。

元気だった頃のマコ
(読売新聞)

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被曝の恐れ顧みず全員志願…米軍司令官が秘話
「被曝(ひばく)するかもしれないが、志願者はいるか」
フィールド司令官が東京・横田基地でパイロットらにこう問いかけたのは震災から3日後の3月14日。
福島第一原発周辺の放射線量計測のための飛行を命じた際のことだ。
放射能漏れの実態はまだよくわからず、大量被曝の恐れも否定できない中での任務だったが、パイロットらは全員が参加を志願したという。
計測された放射線量は日本政府に伝達され、事故への初期対応策定で活用された。
司令官は、自分たちの家族の安否も分からない中、被災地での任務を続けた自衛隊員のことを「本当に英雄的だった」と称賛。
「(自衛隊を)側面支援できたことを栄誉に思う」とトモダチ作戦を振り返った。
(読売新聞)

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殉職警官「しいちゃん」最後まで避難誘導
宮城県警岩沼署少年係長、瀬谷(せや)志津江警部補(37)=警視に昇進。
激しい揺れが襲ったあの日、避難誘導のために出動し津波にのまれた。
遺影が掲げられた同署には、瀬谷さんに補導された少年や少女、世話になったという市民が花を手向けに訪れ、惜別の手紙が寄せられている。
「仕事の話はしたことがなかった。知らない世界で頑張ってたんだな」。
福島県平田村で酪農業を営む父一男さん(60)と母三江子さん(60)は、娘の制服姿さえ見たことがなかった。
届けられた二十数通の手紙や訪ねてきた人の話で、初めて仕事の一端にふれた。
福島県郡山商業高卒業後、交通巡視員を経て97年、巡査となった。
09年に警部補に昇進し岩沼署に配属。
当直勤務が一緒だった巡査部長(30)は「何かあると最初に飛び出す人だった」と振り返る。
その言葉通り、地震が発生すると自発的に捜査車両に乗り込み、避難誘導に出動した。
しかし、午後3時25分、「仙台空港IC付近に陥没あり」との無線連絡を最後に音信は途絶えた。
空港を津波がのみ込んだのはその約30分後。
隣接する資材置き場のがれきに埋まった遺体が見つかったのは10日後だった。
署員は複数の住民から「女の警察官が『早く逃げてえ』と叫ぶのを聞いて空港に逃げ込んで助かった」という証言を得た。
瀬谷さんのことだった。
津波が迫る中、最後まで誘導を続けていたのだ。
子供の時からしっかり者。
警察官になった時は周囲の誰もが「しいちゃんにぴったりだ」と言った。
ボーナスが出ると、2人の妹への仕送りを欠かさない家族思いの姉だった。
「暑(署)がめちゃくちゃ 大丈夫って親に連絡して」。
妹に向けたメールが、家族への最後の言葉となった。
3月17日付で警察学校の教官への抜てきが決まっていた。
一男さんは「警察官になった時は、『使命感持ってやんなくちゃなんねえぞ』と言ったんだ。
『はいよ』って返事していたけど、本当に頑張ってたんだな」と言った後、「あんなこと言わなきゃよかったかな」と声を詰まらせた。
震災で死亡・行方不明となった警察官は宮城、岩手、福島の3県で30人。
ほぼ全員が、避難誘導中だった。
岩沼署では瀬谷さんを含め6人が殉職した。

志津江さんが身につけていた時計を手に遺影に向かう三江子さん。時計は今も動いている

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