殉職警官「しいちゃん」最後まで避難誘導
宮城県警岩沼署少年係長、瀬谷(せや)志津江警部補(37)=警視に昇進。
激しい揺れが襲ったあの日、避難誘導のために出動し津波にのまれた。
遺影が掲げられた同署には、瀬谷さんに補導された少年や少女、世話になったという市民が花を手向けに訪れ、惜別の手紙が寄せられている。
「仕事の話はしたことがなかった。知らない世界で頑張ってたんだな」。
福島県平田村で酪農業を営む父一男さん(60)と母三江子さん(60)は、娘の制服姿さえ見たことがなかった。
届けられた二十数通の手紙や訪ねてきた人の話で、初めて仕事の一端にふれた。
福島県郡山商業高卒業後、交通巡視員を経て97年、巡査となった。
09年に警部補に昇進し岩沼署に配属。
当直勤務が一緒だった巡査部長(30)は「何かあると最初に飛び出す人だった」と振り返る。
その言葉通り、地震が発生すると自発的に捜査車両に乗り込み、避難誘導に出動した。
しかし、午後3時25分、「仙台空港IC付近に陥没あり」との無線連絡を最後に音信は途絶えた。
空港を津波がのみ込んだのはその約30分後。
隣接する資材置き場のがれきに埋まった遺体が見つかったのは10日後だった。
署員は複数の住民から「女の警察官が『早く逃げてえ』と叫ぶのを聞いて空港に逃げ込んで助かった」という証言を得た。
瀬谷さんのことだった。
津波が迫る中、最後まで誘導を続けていたのだ。
子供の時からしっかり者。
警察官になった時は周囲の誰もが「しいちゃんにぴったりだ」と言った。
ボーナスが出ると、2人の妹への仕送りを欠かさない家族思いの姉だった。
「暑(署)がめちゃくちゃ 大丈夫って親に連絡して」。
妹に向けたメールが、家族への最後の言葉となった。
3月17日付で警察学校の教官への抜てきが決まっていた。
一男さんは「警察官になった時は、『使命感持ってやんなくちゃなんねえぞ』と言ったんだ。
『はいよ』って返事していたけど、本当に頑張ってたんだな」と言った後、「あんなこと言わなきゃよかったかな」と声を詰まらせた。
震災で死亡・行方不明となった警察官は宮城、岩手、福島の3県で30人。
ほぼ全員が、避難誘導中だった。
岩沼署では瀬谷さんを含め6人が殉職した。

志津江さんが身につけていた時計を手に遺影に向かう三江子さん。時計は今も動いている

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