大震災・トモダチ作戦-米のアジア太平洋戦略、鮮明
最大時約2万4000人を動員した大規模作戦「トモダチ」は、窮地の同盟国・日本を救うための活動だったが、一皮めくれば、軍事的に台頭する中国をにらんだ米国のアジア太平洋戦略が色濃く浮かぶ。
米政府・米軍は作戦を通じ、どんな目的から何を実施し、教訓を残したのかを検証した。(肩書は当時、日本時間)

◆発生直後
◇強行着陸に空自「衝撃」
「全可動艦艇出港」。
海上自衛隊自衛艦隊(司令部・神奈川県横須賀市)の倉本憲一司令官が「戦時」を思わせる緊急命令を全国部隊に発令したのは東日本大震災発生から6分後の3月11日午後2時52分のことだ。
海自の歴史上初めて出された命令だった。
横須賀基地にいた護衛艦は緊急船舶の指定を受けて、通常の倍以上で、最高速度にあたる最大戦速に近い時速27ノット(約50キロ)で東京湾を抜けた。
同司令部と隣り合わせの米軍横須賀基地。
在日米海軍司令部があり、日本防衛と米軍世界戦略の拠点だが、08年から同基地を母港とする原子力空母ジョージ・ワシントンは定期整備中で、稼働できる状態ではなかった。
代わって米国防総省が投入したのが、韓国軍との合同演習に向かうため西太平洋を航行中だった原子力空母ロナルド・レーガンを中心にした空母打撃群。
大震災発生から4時間余経過した午後7時に首相官邸に「ロナルド・レーガンを宮城県沖に派遣する」との連絡が伝わり、13日朝に三陸沖に到着した。
直ちに、米部隊司令官のギリア少将が、海自の護衛艦きりしまに乗り込み、指揮を執る第1護衛隊群司令の糟井裕之将補と会談。
日米互いの艦艇に1佐(米軍では大佐)クラスを連絡官として送り込むことを決めた。
米軍の被災地支援「トモダチ作戦」は、米海軍と海自が主導して始まった。
米海軍と海自には戦後構築してきた「太いパイプ」がある。
米海軍にとって日本は東アジアだけではなく、中東やアフリカまで含めた安全保障の要衝であり、双方は半世紀以上、環太平洋合同演習(リムパック)などで訓練を重ねてきていた。
米空母と海自の両指揮官は毎晩、「テレビ会議(VTC)」を開いて活動内容を話し合った。
ロナルド・レーガンが合同演習用に積んでいた生活物資類などはすべて被災地支援に使われた。
防衛省幹部は米海軍の迅速な対応について「アジア太平洋の米軍戦力の要は海軍。日本という拠点を失うわけにはいかないという危機感の表れ」との見方を示す。
「事態にどう対処すればいいのか」。
3月12日、在日米軍司令部がある米軍横田基地(東京都福生市など)では、フィールド司令官(空軍中将)ら幹部が対応を協議していた。
防衛省・自衛隊との連絡でいくつもの項目が支援リストに挙がった。
13日には通常は横田基地の要人輸送に使うUH1Nヘリコプターで捜索・救援要員を仙台市の陸上自衛隊霞目駐屯地に輸送した。
そして米軍は自衛隊の度肝を抜く作戦にとりかかった。
特殊部隊潜入などに使われる米空軍嘉手納基地(沖縄県)特殊作戦航空群の輸送機MC130Hが仙台空港に着陸したのは16日。
滑走路にがれきが散乱していたが、偵察を兼ねた捜索飛行などの調査結果をもとに「仙台空港を拠点とする」との方針が決まり、最低限のがれき除去で強行着陸し、復旧作戦に着手した。
仙台空港の管制塔は1階のレーダー室に土砂が流入し、使用不能になった。
米軍の特殊作戦部隊は独自のレーダーで飛行経路と地形を掌握していたという。
空自幹部は「トモダチ作戦の中で最も衝撃的な作戦だった」と驚きを隠さない。
◆原発事故
◇連日の会議、不信払拭
国防総省を巻き込んだ米軍と自衛隊の連携はスムーズに走り出したが、大震災翌日の3月12日午後に起きた東京電力福島第1原発1号機の水素爆発で、日米両政府は情報不足と連携の欠如で互いに疑心暗鬼を深めていく。
「正確な情報を教えてもらいたい」。
大震災発生から2日後の13日昼前、ルース駐日米大使が枝野幸男官房長官に電話で直談判した。
枝野長官は「自衛隊と米軍の間で、連携はちゃんと取れている」と説明した。
首相官邸は早くから米軍との連携を模索。
11日夜には外部電源を失った福島第1原発の原子炉冷却に必要となった電源車(約8トン)を米軍の大型ヘリコプターで輸送できないか米側に打診したが「重すぎて困難」との返答を受けていた。
その後始まった「トモダチ作戦」は順調に稼働しているはずだった。
だが、複数の日本政府関係者によると、ルース大使の懸念は、爆発事故を起こした原発の現状がさっぱりわからないところにあった。
14日深夜、大使は再び枝野長官に電話で「わが国の原子力専門家を首相官邸に常駐させたい。意思決定の近くに置きたい」と申し出た。
同盟関係とはいえ、機密情報があふれ、厳しい政策判断を次々と迫られる官邸中枢部に入り込まれることに抵抗感を覚えた枝野氏は「難しい」といったんは断った。
日本側は、菅直人首相が15日、東電本店に政府との「統合本部」を置き、海江田万里経済産業相と細野豪志首相補佐官を常駐させるまで、原発事故に関する十分な情報を得られていなかった。
米国は日本の情報提供を待たず、グアム基地の最新鋭無人航空機グローバルホークや、米ネブラスカ州に駐機中の放射性物質を観測できる大気収集機WC135コンスタントフェニックスを出動させ、独自の情報収集と分析を進めていた。
ルース大使が「米専門家の官邸常駐」を要請した翌日の15日、来日中の米原子力規制委員会(NRC)とエネルギー省の担当者が、班目(まだらめ)春樹原子力安全委員長、原子力安全・保安院の担当者らと面会した。
「炉心は損傷しているが、メルトダウン(溶融)は起きていない」という班目氏らの説明を米側は黙って聞いていたが、日本側の出席者の一人は「米側はここで日本側との認識のズレを感じたのではないか」と振り返る。
米側はすでにメルトダウンの発生を推定しており、「日本側が情報を隠しているのではないかとの疑念があった」(日本政府関係者)という。
一方、躍起になって情報を探る米側の対応に日本政府内では「エシュロン(米軍を中心に運用されているとされる世界通信傍受システム)を使っているのではないか」との声も漏れた。
菅首相や枝野長官は協議の末、NRCの担当者らが官邸内の危機管理センター横の原子力安全・保安院や東電担当者が詰める「連絡室」に16日から常駐することを認めた。
しかし、大使の懸念は消えず、北沢俊美防衛相とのパイプを頼って情報不足の解消を求めた。
北沢氏はNRCの担当者を防衛省に呼び、経産省や東電の担当者らとの情報交換の場を設置。
会議は計4回に及んだ。
一方、防衛政務官を経験し、太い対米人脈を持つ長島昭久民主党衆院議員は18日午後、福山哲郎官房副長官、細野補佐官とともにルース大使と東京都内のホテルで会談した。
長島議員「世界が注目している。日米協力で乗り切るしかない。情報共有の場を作りましょう」
ルース大使「それはいい。複合的な災害の初期段階だから各省庁とも大変でしょう。お手伝いしたい」
大震災発生から11日後の22日、官邸横にある内閣府ビルの一室で日米政策調整会議の初会合が開かれた。
統括役の福山副長官は「この協議で出なかった話が、他の場で出ることはあり得ない」と表明した。
日本側からは福山副長官のほか、官邸の細野補佐官と伊藤哲朗内閣危機管理監、防衛省、外務省、経産省、原子力安全・保安院、資源エネルギー庁、文部科学省、厚生労働省などの局長クラス、東電の武藤栄副社長らが参加。
米側はズムワルト駐日公使、在日米軍副司令官、NRCやエネルギー省担当者が参加した。
同会議は以後、連日午後8時から開かれ、原発への注水や、ロボットや真水を運ぶバージ(はしけ)船投入などが議論され、原発事故収束に向けた日米協力の一元的・基幹的会議となった。
長島議員は言う。
「(同会議設置で)深刻な不信感が払拭(ふっしょく)された。喉元過ぎれば熱さ忘れるではなく、日米協力の常設の調整機関の設置が重要だ」

米軍の女性兵士(左)と交流する児童
◆総力投入
◇「強圧的な組織」 日本側戸惑いも
米軍は原発の異常事態が始まった3月11日夜には米エネルギー省の専門家が米ネバダ州ラスベガスを放射線量測定器を携えて出発し、横田基地へと向かった。
測定器は上空から地上の放射線量を測定することができる。
しかし、在日米軍には放射線被ばくを想定したリスク管理の厳格なガイドラインは存在しなかった。
フィールド司令官は放射性物質が人間や自然にどんな影響を与えるかについてほとんど知識がなかったことを悔いた。
「ここには輸送機もヘリもある。おそらく放射性物質がある未踏の場所へと飛んでもらうことになる。だれがやる?」。
専門家らが基地到着後、フィールド司令官は基地のパイロットらにこう聞いた。
あくまで志願制をとるしかなかったが、全員が「やります」と返事した。
上空からの測定作業は14日に始まった。
米軍は生活支援に心遣いをみせた。
<ここには何人いますか?>
<必要なものはどんなものですか?>
友達作戦 『Operation Tomodachi』
米軍は孤立した地域にヘリで降り立って、事前に準備していた、日本語で書かれた質問票を見せる。
回答を持ち帰り、大急ぎで英訳して、その地域で必要な物資を配る。
ニーズを的確に把握し、その変化に即応できる態勢が整っていた。
米軍は、現場の指揮官に多くの日本勤務経験者を派遣、「日本のルール」に従う姿勢を通した。
3日目以降は支援物資の搬送も頻繁になった。
通常、米軍はヘリで上空から物資を投下し帰還する。
04年のスマトラ沖地震・津波の災害現場でもそうだった。
しかし、今回は時間をかけて着陸し物資を手渡した。

緊急食として出した「戦闘糧食(レーション)」の食べ方が分からないという被災者の声を聞いて、急きょ日本語の説明書を作成した。
フィールド司令官はこのころ、制服組トップのマレン統合参謀本部議長(海軍大将)からの電話を受けた。
マレン議長「これからウォルシュ太平洋艦隊司令官とチームをそちらに送る」
フィールド司令官「私はクビということですか?」
議長「違う。できうるすべてを提供するということだ」
海軍大将のウォルシュ司令官はフィールド司令官より格上で、米政府の総力を挙げた支援の意思を示すことになる。
ウォルシュ司令官は3月下旬から約3週間にわたり、トモダチ作戦の指揮をとる。
迅速で入念な米軍の対応に自衛隊側がけおされる場面もあった。
「なんだか占領軍みたいで、どうも気になるのだが」。
震災後しばらくしたあと、制服最高幹部の集まる防衛省内の非公式の会合で、そんな意見が表明された。
ウォルシュ司令官派遣に伴い、米太平洋軍がJTF(Joint Task Forces)の司令部を米ハワイから東京・横田基地に移すとされたことに対する懸念だった。
太平洋地域で起きる有事・大規模災害に対処するための統合任務部隊の常設司令部だが、一部将官の目には「支援はしてくれるが米国流を押し通そうとする強圧的な組織」に映った。
米軍は司令部移転の際は名称を変え、JSF(Joint Support Forces=統合支援部隊)として設置。
日本に対する配慮を見せた形だった。
作戦面でも一部に戸惑いがあった。
強襲揚陸艦エセックスは多数の沖縄の海兵隊員を乗せて訓練のためにいたマレーシア沖から急きょ北上。
18日には秋田沖に到着したものの、物資輸送などが主で、海兵隊の機能を発揮した27日からの宮城県気仙沼市・大島での復旧活動まで約1週間かかった。
防衛省幹部は「まさか精鋭の海兵隊の部隊にゴミ拾いをさせるわけにもいかず、どこに行ってもらっていいか迷いがあった」と振り返る。
日米共同復興作業の象徴と位置づけた「ソウル・トレイン(魂の列車)」作戦では、在日米軍にJR仙石線の野蒜(のびる)駅など、2駅の復旧を依頼した。
そこはすでに、自衛隊が遺体の捜索を終えていた。
もし、米軍が遺体を見つけ、被災地とトラブルが起きれば「米国が支援しようとしているのに、逆効果になる」(陸自幹部)との配慮があったからだ。
さらに米軍との調整に関わった自衛隊幹部は「普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)移設問題もある中、沖縄の海兵隊に活躍の場を与えてほしいという米軍の意思を強く感じた」と明かす。
◇空母、中国の接近けん制
日本の防衛の重点が「東方集中」する中、その空白を埋めるように米軍が静かに動き出した。
「なんでこんなところに米軍がいるんだ」。
3月17日、統合幕僚監部内がざわついた。
マレーシア沖での訓練を切り上げて被災地支援へと向かう米強襲揚陸艦エセックスが、被災地に近い太平洋ではなく、日本海を航行していたためだ。
呼応するかのようにロシア軍の動きが活発化。
17日にはIL20電子情報収集機が日本領空に接近し、航空自衛隊が戦闘機を緊急発進(スクランブル)させた。
続いて、米軍横須賀基地で定期整備中だった原子力空母ジョージ・ワシントンが21日、急きょ乗員や民間の整備員らを乗せ出港した。
その後、伊豆大島、土佐湾沖で洋上整備を続け東シナ海にまで足を伸ばした。
防衛省幹部によると、この頃、中国空軍が偵察機を頻繁にジョージ・ワシントンに向け飛ばしたことが自衛隊の警戒・監視活動で把握された。
同幹部は「中国軍の偵察対象になっていたのは間違いない」という。
また、中国は日本にも行動をとった。
26日に東シナ海で警戒監視中の海自護衛艦いそゆきに中国国家海洋局ヘリZ9が約90メートルまで接近。
4月1日には中国のプロペラ機Y12が同様に異常接近する行為もあった。
3月21日には領空約60キロまで接近した集塵(しゅうじん)装置をつけたロシア軍のスホイ27戦闘機とAn12電子戦機に空自がスクランブルをかけ、29日にも情報収集機が接近。
戦闘機は福島第1原発事故に伴う放射性物質の飛散状況調査が目的とみられるが、同幹部は、米軍の動向に神経をとがらせていた表れとみている。
ジョージ・ワシントンは東シナ海を経由し、4月に2回、長崎県・米軍佐世保基地に物資補給などのために寄港。
米海軍によると、原発事故の状況が発生当時より改善されたとして同20日に横須賀基地に帰港した。
当初、ジョージ・ワシントンが横須賀基地を離れたのは、原発事故による放射性物質の被害を避けるため、と見られていた。
しかし、防衛省幹部は「米軍は空母を前進配備させた。日本から要請したわけではないが、日本に手を出したら許さない、という意思表示だった」と解説する。
「お客さんが来ないとおもしろくないよね」。
トモダチ作戦終了後、米国防総省幹部は防衛省幹部に冗談めかして伝えたという。
中露側の動きを想定し、関与を強める狙いがあったとみられる。
一方、被災地支援では、中国政府による「軍事支援」の申し出が、幻に終わった事例もあった。
大震災から5日後の3月16日、中国国防省が病院船派遣の用意があることを伝えたが、日本政府は27日、「港が津波で被害を受け、船を接岸できない」と、謝意を伝えたうえで辞退。
だが、米海軍幹部は「中国軍の病院船が入ればトモダチ作戦のオペレーションに加わることになり、作戦会議を通じ情報を一部共有しなければならなくなる」と指摘。
米軍の意向が働いた可能性を示唆した。
米中両国が東日本大震災の舞台裏で繰り広げた激しい「神経戦」の背景には、中国の軍備拡大と海洋進出への野心から、劇的に変化するアジア・太平洋地域の安全保障の構図がある。
中国は近年、米空母を近海に寄せ付けない「接近阻止」戦略を進め、地上から空母を攻撃する世界初の車載型対艦弾道ミサイルDF21D(通称・空母キラー)を開発。
日本やフィリピン諸島を射程(約2000キロ)に収めたとされる。
米国防総省によると、その攻撃能力を米領グアム付近にまで拡大させつつある。
これに対して米国は昨年2月、米議会に提出した「4年ごとの国防政策見直し(QDR)」で、新構想「ジョイント・エア・シー・バトル(米空海統合戦略)」を公表。
米海軍が開発中の世界初のステルス式空母艦載型無人爆撃機で対抗する戦略だ。
戦闘行動半径は2780キロと長く、空母キラーの射程外から攻撃できる。
米海軍関係者は「横須賀基地を(事実上の)母港とするジョージ・ワシントンに艦載することになるかもしれない。この爆撃機は日本や在日米軍基地を最前線で死守する防波堤になりうる」と話した。
ただし、防衛省では大震災後の中国軍の動向を分析した結果、「日本の混乱に付け入るような不穏な動きはなかった」と結論付けたという。
一方、トモダチ作戦終了後、中国関係者が防衛省幹部に伝えた。
「自衛隊10万人と米軍2万人が短時間であれだけ調和した作戦を実行したのは驚きだ」
◇韓・豪と同盟強化へ布石
米国のアジア太平洋での抑止力強化をベースとする対中戦略は、東日本大震災での被災地支援でも如実に透けて見えた。
大震災後、被災地に世界23カ国・地域から救助隊などが駆けつけたが「軍事作戦」を組んだのは、日本の自衛隊のほかには米国と同盟関係にあるオーストラリアと韓国だけだった。
豪州東部クイーンズランドを拠点とする捜索・救援タスクフォースが捜索犬を伴い大型輸送機C17で東京・米軍横田基地に着陸したのは大震災3日後の3月14日早朝。
国際的な災害救援で急派される精鋭チームだ。
すぐさま、米軍との調整で豪州主導の別の作戦「パシフィック・アシスト(太平洋支援)」が動き出す。
到着したC17を被災地支援の輸送業務に任務変更して活用する作戦だった。
C17は大型貨物を搭載できる一方、短い滑走路でも発着できる即応性・機動性に優れた輸送機。
横田基地から沖縄の米軍嘉手納基地へと向かい、陸上自衛隊第15旅団の要員とトラックを乗せ、被災地へと運んだ。
豪国防省は4機のC17のうち、さらに2機投入を決定。
スミス国防相が21日、北沢防衛相に電話で伝えた。
同夜と翌22日朝に相次いで豪州から飛び立ったC17は、米国の要請に基づき福島第1原発事故対応で使用する遠隔操作高圧放水砲システムを積んでいた。
豪政府関係者は「日米豪の普段の連携があって初めてできたことだ」と振り返る。
日本政府高官は「豪州からは同盟国の米国と、豪州が加盟する英連邦を通じたNATO(北大西洋条約機構)の情報が入ってくる。豪州との連携は有益だ」と語り、日米豪の連携の重要性を強調した。
韓国の対応も早かった。
「史上例のない大災害を経験している日本への支援に最善を尽くす」。
震災当日の11日夕、韓国の李明博(イミョンバク)大統領は関係閣僚を緊急招集して指示した。
12日に先遣隊を派遣し、14日からは空軍輸送機C130で救助隊や自衛隊の使う装備などを搬送。
災害派遣では「過去最大規模」(韓国政府)となった。
被災地支援で構築された日米韓豪の「同盟連合」の伏線は、大震災の5カ月前にさかのぼる。
「エア・シー・バトル構想の成功のカギを握るのは、情報共有だ」。
昨年10月、米軍の呼びかけで韓国で開催されたアジア太平洋の同盟国・友好国軍幹部の非公式会合で、同地域の米軍トップ、ウィラード太平洋軍司令官が表明した。
日韓豪やシンガポール、フィリピンなどが参加。
各国の軍幹部らが中国海軍力の拡大に懸念を示した。
米国は、空軍の最新鋭無人偵察機グローバルホークを同盟国に売却する交渉を進めている。
30時間以上の連続飛行ができ、約560キロ先まで見通し、ほぼリアルタイムで地上に情報を送ることができる。
「地域全体を広範囲に監視下に置き、情報共有するネットワーク構築につながる」と米軍関係者は狙いを語る。
韓国政府は「北朝鮮の警戒に役立つ」として4機を購入する計画。
豪政府も「インドネシアからの不法移民や中国艦船の監視」を念頭に15年ごろをめどに5機前後を導入する方針だ。
米軍は大震災の翌12日からグローバルホークをグアムの空軍基地から福島原発上空に急派した。
5月11日までの2カ月間、撮影した4400枚以上の写真を日本に無償で提供した。
トモダチ作戦終了から半年を経た11月。
オバマ米大統領は豪州北部のダーウィン空軍基地を訪れ、最大2500人規模の米海兵隊を来年から順次駐留させると発表。
中国をにらんだ同盟強化の布石を着々と打つ。
トモダチ作戦で日米の「軍と自衛隊」の一体化は進んだ。
しかし、米国では景気悪化で国防総省予算が今後10年で最低でも5~10%削減される見通しだ。
同盟国に軍事的責任と負担を分散し、「より低コストで、より大きな効果」(クローニン新米国安全保障センター上級顧問)を生み出す狙いもある。
だが、グローバルホークの売り込みに防衛省は「現在保有する偵察機で必要な役目は果たせる。日本も財政的な余裕がない」(幹部)と消極的で、米軍関係者からは「具体的な交渉の進展はない」との不満も漏れる。
米国を軸とする「同盟強化」路線は、一皮めくれば、日本の防衛戦略の拡大と防衛力整備を一層迫るものでもある。
窮地の日本を手助けしたトモダチ作戦や日米韓豪の軍事的連携が、日本に突きつけた課題は重い。
◇自衛隊派遣「10万人」 「防衛空白」を回避
被災地支援と原発事故対応での日米作戦の裏側で、防衛省・自衛隊ではもう一つの「作戦」を遂行した。
東日本大震災発生直後、東京・市ケ谷の防衛省の情報本部は緊迫した。
電波や電子情報、衛星画像情報などの分析を通じ、国際的な軍事情勢や外国軍隊の動態を把握する機密情報の「総本山」だ。
「本来任務を怠らず、万全を期すように」。
本部内では幹部から冷静な指示が飛んだ。
史上空前の災害だけに自衛隊派遣が大規模になるのはすぐに分かった。
防衛省幹部が警戒したのは、大規模災害派遣と原発事故対処で国の守りに穴があく「防衛空白」だけは避けなければならない、ということだった。
情報本部が収集・集約した機密情報は、司令部となった中央指揮所(CCP)にも送られ、自衛隊の運用に反映された。
情報本部が提出する資料には、海上人命安全条約(SOLAS条約)に基づく船舶自動識別装置(AIS)による日本近海での中国民間船の動きや、電波情報などでとらえた中国海軍艦船の動きも含まれていた。
「防衛空白」を警戒したのは、CCPに陣取る折木良一統合幕僚長も同じで、細心の注意を払った。
官邸からは大震災発生直後から「大規模派遣」を促す指示が北沢俊美防衛相を通じて矢継ぎ早に出された。
救援や復旧作業の要となる陸上自衛隊は地域ごとに全国に5方面隊あり、大規模部隊の師団9、機動的な旅団6で構成される。
折木統幕長は幕僚会議の結果、九州や沖縄を防衛する西部方面隊の第15旅団(司令部・那覇市)と第8師団(同・熊本市)、関西地方を担当する中部方面隊の第3師団(同・兵庫県伊丹市)と、北海道防衛にあたる北部方面隊の第7師団(同・北海道千歳市)を極力、動かさないことを早々と決めた。
九州や沖縄の海域を警戒する海上自衛隊佐世保基地(長崎県佐世保市)の艦なども動かせないと考えた。
背景にあるのは中国軍やロシア軍の存在だ。
こうしてはじき出された派遣可能な自衛隊規模は、陸自に海自と航空自衛隊を含めて「12万~13万人」だった。
折木統幕長は北沢防衛相に「13万人までは大丈夫です」と伝えた。
陸海空3自衛隊の実員は約23万人で、半数以上が災害派遣に割かれる事態になる。
政治的な判断は実員半分以下の「10万人」に落ち着いた。
(毎日jp)
「operation tomodachi 」 米軍による救援活動 ~友達作戦~
Operation Tomodachi トモダチ作戦
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